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今週の歌謡ベストテン

今週の歌謡ベストテン

 

 

今回は久々にチャートのデータに関するお話です。
僕が歌謡曲を聴き始めた昭和41年当時、
地元福岡の民放ラジオ番組で、最も高い数字を取っていたのが、
KBCラジオで日曜の午前11時台に放送されていた
「今週の歌謡ベストテン」です。
TBSテレビの「歌謡曲ベストテン」は、
上位10曲を順位を付けずに発表するものでしたから、
KBCの「今週の歌謡ベストテン」が、
僕にとってのカウントダウン番組の初体験となります。

 

 

担当は間島栄一さんと陣内(じんのうち)洋子さんでした。
間島さんはKBCの局アナの方で、
陣内さんはフリーの喋り手の方だったと思います。
おふたりとも真面目・誠実を絵に描いたような喋りをされる方です。
イントロに乗せて曲紹介を行なう「インはめ」の手法が基本で、
間島さんはあらかじめランキングを知らされており、
発表されて行くランキングに、陣内さんが
リスナーの気持ちを代表して、反応するというパターンでした。
葉書リクエストの数も、先週と今週の分が発表され、
ご贔屓の歌手・曲の上昇・下降に一喜一憂するという
ファン心理をしっかりと押さえた番組になっていたと思います。

 

 

当初は30分番組で、曲がフルコーラス流れる事は殆どありませんでしたが、
後に時間が多少延長になってからは、初登場と上位曲はフルコーラス、
更にベスト3に行く前には、ベストテン入りが期待される曲や
時にはゲストを招いての、ハイライト・コーナーが設置されました。
また6位まで発表した時点で、10〜6位のランキングを
先週と今週で比較し、行方不明曲が上位進出か、
圏外転落かを予想するという事もやっていました。
そして2位の間奏の部分で、提クレ(提供クレジット)が入ります。

 

 

当時は御三家(橋幸夫さん・舟木一夫さん・西郷輝彦さん)の全盛期で、
概ね10曲の内の半分は、この三人によって占められていました。
特にダントツの強さは舟木一夫さんで、
年末に行なわれる、その年のNo.1獲得曲の特集でも、
昭和40年 あゝりんどうの花咲けど
  41年 絶 唱
  42年 夕 笛
  43年 残 雪
と、それぞれの年の最長No.1獲得曲が舟木一夫さんでした。
その他、石原裕次郎さん、美空ひばりさんも強く、
加山雄三さん、三田明さんは、ベストテン入りはするものの、
当初は他の番組に較べて、今ひとつ伸びずという印象でした。
また布施明さん、伊東ゆかりさん、森進一さん、青江三奈さん
といった人達は、レコードは売れていたものの、
ラジオのリクエスト番組では、ずっと苦戦を強いられており、
この番組でも例外ではありませんでした。
なお森進一さんと伊東ゆかりさんは、
かなり後になってから、やっとベストテン入りを果たしています。

 

 

また僕が聴き始めた頃は、圧倒的に男性優位の状態でしたが、
その後は、黛ジュンさんを筆頭に、いしだあゆみさん、小川知子さん、
奥村チヨさん、由紀さおりさん、渚ゆう子さん達の活躍により、
女性優位の時代に入りました。
昭和45年頃の演歌全盛期にも、この番組に関しては演歌一色というイメージは薄く、
舟木一夫さん、西郷輝彦さん、三田明さん、加山雄三さんは、依然として健在で、
そのまま、にしきのあきらさん、尾崎紀世彦さん、沢田研二さん、森田健作さん、
三人娘(南沙織さん・小柳ルミ子さん・天地真理さん)
新御三家(郷ひろみさん・野口五郎さん・西城秀樹さん)
といった70年代を代表する人達へと、受け継がれて行きます。
演歌系でこの時期に健闘したのは、森進一さん、五木ひろしさん、
内山田洋とクール・ファイブ、くらいでしょうか。

 

 

昭和49年には、強力なライバル番組「RKBベスト歌謡50」がスタート、
その影響からか、昭和50年には「今週の歌謡ベストテン」は
番組のリニューアルを図ります。
ランキングの発表を20位まで伸ばし、時間稼ぎのためか、
イントロやアウトロをカットするというやり方を始めました。
喋りも次第に若い層を意識したものに変えて行きましたが、
明らかに間島さん・陣内さんのイメージには合わず、
新たなリスナー層を獲得出来ず、従来のファン層をも失うという
結果に終わってしまい、間もなく番組は終了しました。
また一時期フォーク系の曲だけは、「今週のフォーク・ベストテン」として
別番組で扱っていたこともあります。
ファン心理をしっかりと理解し、きっちり決まったフォーマットで展開され、
リスナーの支持を得ていた番組を、中途半端にいじくった事が、
失敗に終わった原因と言って良いのではないでしょうか。

 

 

それでは、かつて地元の名物番組だった「今週の歌謡ベストテン」のランキングで、
特に印象的だったいくつかの曲の動きをご紹介しておきましょう。
当時のリーダー的存在は舟木一夫さんですが、
よくその間に割って入ったのが橋幸夫さんでした。
19週間No.1を続けた「絶唱」(舟木)をその座から引きずり下ろしたのが、
「シンガポールの夜は更けて」(橋)、しかし翌週には「絶唱」がトップに返り咲き、
「シンガポール〜」はあっという間に、ベストテン下位まで落ちて行きました。
「一心太助江戸っ子祭り」(舟木)と「殺陣師一代」(橋)は
ほぼ互角の強さで激しいトップ争いを展開。
通算14週No.1となった「夕笛」(舟木)は、
途中で1週だけ「若者の子守唄」(橋)にトップの座に割り込まれています。
「センチメンタル・ボーイ」(舟木)と「佐久の鯉太郎」(橋)の場合は、
橋幸夫さんの方が優勢でした。
昭和43年以降は橋さんがトップに立つこと自体が少なくなり、
舟木一夫さんの好敵手は、西郷輝彦さんに取って代わって行きました。
「オレは坊っちゃん」と「ガラスの涙」、「銀色の恋」と「友達の恋人」、
「青春の鐘」と「運命のひと」、「永訣の詩」と「涙は眠れない」は、
いずれも前者が舟木さん、後者が西郷さんで、
どれも抜きつ抜かれつの、激しいトップ争いを繰り広げました。

 

 

西郷輝彦さんの「月のしずく」は、2位止まりながらその位置に連続15週留まり、
舟木一夫さんの「くちなしのバラード」「残雪」の二代に渡って、
トップにぴったりとくっついており、2位に根が生えた!と言われました。
続いてベストテン入りした、西郷さん自身の新曲「虹を買おう」も
結局「月のしずく」を抜くことなく、先に圏外に去ってしまったほどです。
西郷さんはベストテン内でのジャンプUP記録も多いようです。
最大ジャンプUPは、10位→2位の
「サンフランシスコ霧の港町」(西郷)、「佐久の鯉太郎」(橋)の2曲。
ジャンプUPでのNo.1到達記録は、
「涙は眠れない」(西郷)の8位→8位→1位。
またベストテン入り以来、最短期間でのNo.1到達記録は、
上記の「涙は眠れない」に加えて、「夕笛」(舟木)の10位→6位→1位、
「青春の鐘」(舟木)の10位→7位→1位、
「瀬戸の花嫁」(小柳ルミ子)の7位→4位→1位。(いずれも3週目にトップへ)
美空ひばりさんの「花と剣」は、初登場5位を記録、ベストテン入りの最高記録です。
また初登場ではありませんが、石原裕次郎さんは
「帰らざる海辺」が4位、「港町・涙町・別れ町」が5位で、再登場しています。

 

 

三田明さんは、当時のライバル番組「RKBゴールデン・ヒット・パレード」や
「全国歌謡ベストテン」などでは、御三家に劣らぬ強さを発揮していましたが、
この番組では結構苦戦していた事は前述の通りです。
特に「夕子の涙」が9位を記録した後の約2年間は、
「真珠の恋人」が辛うじて10位に入ったのみでした。
しかし昭和44年の夏に、突如「太陽のカーニバル」がベストテン入り、
以前なかったほどの勢いで2位まで上がり、この番組での最高位となりました。
この曲は他の殆どの番組でトップを取っています。
しかしオリコン・チャートでは、なんと34位止まりでした。

 

 

堀田利夫さんは当時はまだ無名の新人といった印象でしたが、
昭和41年秋にベストテン入りした4枚目のシングル「哀しみのギター」が、
上がったり下がったりしながらも、しぶといチャート・アクションを続け、
なんとベストテン入り17週目にして、一度だけトップの座に就きます。
その後も粘りに粘って、実に28週もの間ベストテンに入り続けました。
これは「絶唱」の27週を上回る最長記録です。
堀田さんはその後、ムード歌謡コーラス・グループのジョイベルス東京で
リード・ヴォーカルを務めた後、またソロ歌手として活動しています。

 

 

他に意外に長期に渡ってベストテン入りしていた曲としては、
「北国の青い空」奥村チヨ(19週、最高3位)
「ここは赤坂」島和彦(18週、最高1位1週)
「わたしだけのもの」伊東ゆかり(18週、最高1位2週)
「心の旅路」千昌夫(19週、最高2位)
といったところが挙げられるでしょう。
その他、意外なNo.1曲としては、
「この愛が終るなんて」島倉千代子
「ちょっと淋しいの」野村真樹
「僕はおまえが好きなんだ」にしきのあきら
なども挙げられると思います。

 

 

男性歌手圧倒的優位の状況を一変させた功労者である黛ジュンさんは、
10週連続No.1の「雲にのりたい」を筆頭に合計5曲、
通算26週に渡って、トップの座を維持していた事になります。

 

 

南沙織さんは「17才」でデビュー以来、9曲連続でNo.1を獲得。
(但しすぐに天地真理さんに破られますが・・・)
なお良きライバルの小柳ルミ子さんは、2曲目の「お祭りの夜」が
2位止まりのため、連続No.1記録は達成出来ませんでした。
因みに南沙織さんは、No.1カムバック、ベスト3カムバック、
ベストテン・カムバック等がやたらと多かったのですが、
8曲目、9曲目のNo.1あたりになると、もうハラハラされどおしでした。
南沙織さんの「色づく街」がジワジワ上昇を続けて2位まで来た頃、
小柳ルミ子さんの「十五夜の君」がトップを続けていました。
「十五夜の君」が5週目のトップに入った時、「色づく街」は3位に後退し、
入れ替わって西城秀樹さんの「ちぎれた愛」が2位に上がりました。
この時点で「色づく街」のトップ奪回は、ほぼ絶望的と見られていました。
しかし翌週には「十五夜の君」が3位に後退し、
「ちぎれた愛」が初のトップに輝きましたが、
同時に「色づく街」が奇跡の2位カムバックを果たし、
更に翌週には「ちぎれた愛」をも追い抜いて、「色づく街」は
悲願の連続8曲目のNo.1を1週だけですが獲得したのです!
また次の曲「ひとかけらの純情」は、5位、6位あたりを
ウロウロしている隙に、小坂明子さんの「あなた」が
あれよあれよという間に、追い抜いて行ってしまったのです。
程なく「あなた」はトップに立ちましたが、その座は2週と意外に短く、
続いてトップを取った、郷ひろみさんの「モナリザの秘密」も
2週間のトップに留まりました。
そしてその間も、ジワジワと上昇を続けていた「ひとかけらの純情」は
またしても1週だけですが、No.1を獲得する事が出来たのです。
次の曲「バラのかげり」がベストテン入りした頃に、
僕は大学進学のため上京したので、番組を聴けなくなってしまいました。
そしてその年の年末に放送されたNo.1特集では、
「ひとかけらの純情」しか登場しなかったので、
南沙織さんの連続No.1記録は、この曲を以て途絶えてしまった訳です。

 

 

それでは最後に僕が番組を聴いていた

昭和41年8月~49年3月のトータル・チャートをご紹介しましょう。

 

 1 絶唱/舟木一夫
 2 夕笛/舟木一夫
 3 月のしずく/西郷輝彦
 4 夕月/黛ジュン
 5 哀しみのギター/堀田利夫
 6 オレは坊っちゃん/舟木一夫
 7 残雪/舟木一夫
 8 雲にのりたい/黛ジュン
 9 夜霧よ今夜も有難う/石原裕次郎
10 一心太助江戸っ子祭り/舟木一夫
11 情熱/西郷輝彦
12 心配だから来てみたけど/舟木一夫
13 愛の旅路を/内山田洋とクール・ファイブ
14 静かに静かに/西郷輝彦
15 願い星叶い星/西郷輝彦
16 こぼれ花/石原裕次郎
17 空に太陽がある限り/にしきのあきら
18 真夏のあらし/西郷輝彦
19 愛する人はひとり/尾崎紀世彦
20 夜霧の果てに/舟木一夫
21 さよならをもう一度/尾崎紀世彦
22 わたしだけのもの/伊東ゆかり
23 夏子の季節/舟木一夫
24 漁火恋唄/小柳ルミ子
25 純潔/南沙織
26 わたしの城下町/小柳ルミ子
27 殺陣師一代/橋幸夫
28 手紙/由紀さおり
29 真赤な太陽/美空ひばり、ブルー・コメッツ
30 運命のひと/西郷輝彦
31 くちなしのバラード/舟木一夫
32 永訣の詩/舟木一夫
33 恋のメキシカン・ロック/橋幸夫
34 ひとりじゃないの/天地真理
35 ちいさな恋/天地真理
36 ガラスの涙/西郷輝彦
37 ふたりの日曜日/天地真理
38 ブルー・トランペット/舟木一夫
39 瀬戸の花嫁/小柳ルミ子
40 京のにわか雨/小柳ルミ子
41 花嫁/はしだのりひことクライマックス
42 ここは赤坂/島和彦
43 霧のかなたに/黛ジュン
44 長崎から船に乗って/五木ひろし
45 若葉のささやき/天地真理
46 若者の子守唄/橋幸夫
47 北国の青い空/奥村チヨ
48 ともだち/南沙織
49 紫のひと/舟木一夫
50 三日月のバロック/西郷輝彦

 

pops1967の日記()より転載 ※一部加筆あり

 

 

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