ファンファンブログ

‘ラジオ’ カテゴリーのアーカイブ

ラジオ出演中! ★AIR STATION HIBIKI 『Life & Music』

2025年10月21日

ラジオ出演中! 

★AIR STATION HIBIKI 『Life & Music』

 

アナログレコード担当の中嶋ひろ志です。僕はファンファン運営の傍らで、地元北九州を中心に音楽イベントの企画やラジオ出演をしております。ラジオ関係では現在コミュニティFM局のAIR STATION HIBIKIで、毎月第三火曜日の午前11~12時に音楽番組『Life & Music』を生放送しています。スタジオは北九州市八幡東区平野の「ココクルときめきスタジオ」からで、周波数は88.2MHzです。

 

本日10月21日の放送は、シンガーソングライターの波多野菜央さんをお迎えしました。波多野菜央さんは4枚目のCD「ダスト・モンタージュ」をリリースしたばかりですが、過去3枚のCDのトータル売り上げは、ファンファン取り扱いのインディーズCDの最高売り上げを更新中です!今回のCDも直筆サイン入りポストカード付きで、絶賛発売中です!番組内ではご自身のギター弾き語りで、CD「ダスト・モンタージュ」収録曲を2曲と、僕のピアノに乗せて松田聖子さんのカバー「スイート・メモリーズ」を、スタジオで歌っていただきました。当日の放送はYOU TUBEでもアーカイヴが残っていますので、ご覧ください。なお波多野菜央さんは、11月23日15時から北九州市の小倉昭和館にて「小倉昭和館ライブ~ダスト・モンタージュ」を開催します。お近くの方はどうぞお越しください!

 

 

波多野菜央さんのCD「ダスト・モンタージュ」の

商品ページはコチラ

   ↓  ↓  ↓  ↓  ↓

 

https://www.fanfan1.com/products/detail/871796

 

ラジオ出演中! ★AIR STATION HIBIKI 『Life & Music』

2025年9月17日

ラジオ出演中! 

★AIR STATION HIBIKI 『Life & Music』

 

アナログレコード担当の中嶋ひろ志です。僕はファンファン運営の傍らで、地元北九州を中心に音楽イベントの企画やラジオ出演をしております。ラジオ関係では現在コミュニティFM局のAIR STATION HIBIKIで、毎月第三火曜日の午前11~12時に音楽番組『Life & Music』を生放送しています。スタジオは北九州市八幡東区平野の「ココクルときめきスタジオ」からで、周波数は88.2MHzです。

 

先日9月16日の放送は、シンガーのカッシーさんをお迎えしました。カッシーさんは北九州のゴスペルクワイア「エンジェリックシャウト」のメンバーとしてキャリアをスタートさせ、現在は更に幅広いジャンルの曲を歌うシンガーとして活躍中です。アバのトリビュート・バンドabba mod keyのメンバーとして、元シーナ&ロケッツの渡辺信之さんのバンドRoad tripsのコーラスとして、また最近はジャズナンバーも歌います。僕のプロデュースするストロベリーサワーのイベントでは、毎回僕のムチャぶりに応えて(笑)レアな昭和歌謡や洋楽ポップスも歌ってくださいます。今回の放送では、僕のピアノに乗せてスタジオで3曲を歌っていただきました。カッシーさんの癒やされる素敵な歌声をご堪能ください。当日の放送はYOU TUBEでもアーカイヴが残っていますので、ご覧ください。

 

 

ラジオ出演中! ★AIR STATION HIBIKI 『Life & Music』

2025年8月20日

ラジオ出演中! 

★AIR STATION HIBIKI 『Life & Music』

 

アナログレコード担当の中嶋ひろ志です。僕はファンファン運営の傍らで、地元北九州を中心に音楽イベントの企画やラジオ出演をしております。ラジオ関係では現在コミュニティFM局のAIR STATION HIBIKIで、毎月第三火曜日の午前11~12時に音楽番組『Life & Music』を生放送しています。スタジオは北九州市八幡東区平野の「ココクルときめきスタジオ」からで、周波数は88.2MHzです。

 

先日8月19日の放送は、歌うパン屋さんことストリート・シンガーのRURIさんをお迎えしました。RURIさんは北九州銀行に併設されているパン屋さんのgomaiwaの店長であると同時に、ストリート・シンガーとして歌われる他、地域の祭りへの出演、施設の訪問など、精力的に活動されています。現在ご自身の作詞によるオリジナル曲を2曲お持ちですが、そのうちの1作目「心からのありがとう」のピアノ伴奏を僕、中嶋ひろ志が担当させていただきました。ご家族への思いを託した素晴らしい歌に仕上がっています。番組内ではスタジオからRURIさんの生歌と、僕のピアノの生演奏でお送りしました。RURIさんの透明感溢れる優しい歌声に癒やされてください。当日の放送はYOU TUBEでもアーカイヴが残っていますので、ご覧ください。(著作権の関係で一部音源は無音となりますが、生歌の部分はお聴きいただけます。)

 

 

★ 文化放送 関連 シングル曲 7incシングル ★

2025年3月3日

★ 文化放送 関連 シングル曲 7incシングル ★

 

「オール・ジャパン・ポップ20」

「全国歌謡ベストテン」等関連 45rpmドーナツ盤 

 

←コチラ

 

洋楽 文化放送 関連 EP ←

 

邦楽 文化放送 関連 EP ←

★ R.I.P. みのもんたさん ★

2025年3月2日

★ R.I.P. みのもんたさん ★

 

アナウンサー、司会者、キャスターとして永年に渡って活躍された、みのもんたさんが逝去されました。

 

みのさんと言えば一般的にはテレビの印象が強いかも知れませんが、それ以前には文化放送のアナウンサーとして、多くのラジオ番組に携わっておられました。

 

中でも僕が一際印象に残っているのが、「9500万人のポピュラー・リクエスト」~「オール・ジャパン・ポップ20」~「全国ポピュラー・ベストテン」と変遷した長寿番組の、「オール・ジャパン・ポップ20」時代の2代目パーソナリティとしての活躍でした。(1969~76年)

 

僕にとってはKBCラジオの松井伸一さん、RKBラジオの井上悟さんに次いで、さまざまな洋楽曲を知るきっかけとなった方でした。

 

心よりご冥福をお祈り申し上げます。

 

              中嶋ひろ志

 

 

オール・ジャパン・ポップ20 関連 シングルレコード 在庫コチラです ←

ラジオ出演中! ★AIR STATION HIBIKI 『Life & Music』

2024年11月24日

ラジオ出演中! 

★AIR STATION HIBIKI 『Life & Music』

 

アナログレコード担当の中嶋ひろ志です。僕はファンファン運営の傍らで、地元北九州を中心に音楽イベントの企画やラジオ出演をしております。ラジオ関係では現在コミュニティFM局のAIR STATION HIBIKIで、毎月第三火曜日の午前11~12時に音楽番組『Life & Music』を生放送しています。スタジオは北九州市八幡東区平野の「ココクルときめきスタジオ」からで、周波数は88.2MHzです。

 

先日11月19日の放送は、北九州を中心に活動されているヴォーカリストのカルナさんをお迎えしました。カルナさんはお昼はデイサービスのお仕事をされながら、北九州各地のライブハウスや音楽イベントに出演されてます。先日の小倉の水環境館でのイベントでは司会も務められました。番組内ではカルナさんが娘さんの結婚式で披露されたオリジナル曲「祝福の唄」をウクレレの弾き語りで、また美輪明宏さん作品の「ヨイトマケの唄」を僕のピアノ伴奏に乗せてオリジナル・ヴァージョンのスタイルで歌っていただきました。いずれもカルナさんの優しさと圧倒的な歌唱力が、お判りになると思います。当日の放送はYOU TUBEでもアーカイヴが残っていますので、ご覧ください。(著作権の関係で一部音源は無音となりますが、生歌の部分はお聴きいただけます。)

 

 

 

 

ラジオ出演中! ★AIR STATION HIBIKI 『Life & Music』

2024年9月18日

ラジオ出演中! 

★AIR STATION HIBIKI 『Life & Music』

 

アナログレコード担当の中嶋ひろ志です。僕はファンファン運営の傍らで、地元北九州を中心に音楽イベントの企画やラジオ出演をしております。ラジオ関係では現在コミュニティFM局のAIR STATION HIBIKIで、毎月第三火曜日の午前11~12時に音楽番組『Life & Music』を生放送しています。スタジオは北九州市八幡東区平野の「ココクルときめきスタジオ」からで、周波数は88.2MHzです。

 

先日9月17日の放送は、ミュージック・ライフの元編集長、水上はるこさんをお招きしてお送りしました。水上さんは『最低で最高のロックンロールライフ』を出版されたばかりで、海外アーティストのたくさんの良いお話とちょっぴり悪いお話をお聞きすることが出来ました。2020年の2月に北九州の門司で、水上さんと福岡のレジェンドDJである故・松井伸一さんのトークイベントを開催しました。実は水上さんがロック大好きになったのは、かつて松井伸一さんがKBCラジオで担当されていた番組の影響であったことを知りました。松井さんのどの番組を当時聴いておられたかも詳しくお話しいただきました。とても貴重なお話満載の番組になりました。当日の放送はYOU TUBEでもアーカイヴが残っていますので、ご覧ください。

 

 

 

洋楽 60sロック LPレコード 在庫コチラです ←

 

洋楽 70sロック LPレコード 在庫コチラです ←

 

ラジオ出演中! ★AIR STATION HIBIKI 『Life & Music』

2024年5月23日

ラジオ出演中! 

★AIR STATION HIBIKI 『Life & Music』

 

アナログレコード担当の中嶋ひろ志です。僕はファンファン運営の傍らで、地元北九州を中心に音楽イベントの企画やラジオ出演をしております。ラジオ関係では現在コミュニティFM局のAIR STATION HIBIKIで、毎月第三火曜日の午前11~12時に音楽番組『Life & Music』を生放送しています。スタジオは北九州市八幡東区平野の「ココクルときめきスタジオ」からで、周波数は88.2MHzです。

 

先日5月21日の放送は、シンガー彩夏さん、ラジオMC&イラストレーター イエーイ岩崎さんをお迎えしました。(実はお二人は友だち) ソフトバンクホークス、KBCナイター中継のテーマソング「いざゆけ!~We will be Winner~」などをお送りしました。また最近では高齢者の方々を対象に昭和歌謡を歌う機会も多い彩夏さんからのリクエストで、西田佐知子さんの名曲「アカシアの雨がやむとき」を、彩夏さんの歌と僕のピアノで、スタジオから生演奏でお届けしました。当日の放送はYOU TUBEでもアーカイヴが残っていますので、ご覧ください。(著作権の関係で一部音源は無音となります)

 

 

 

 

60s 昭和歌謡 名曲 シングルレコード 在庫コチラです ←

 

フレンチポップス 関連 シングルレコード 在庫コチラです ←

全国ポピュラー・ベストテン

2024年4月28日

全国ポピュラー・ベストテン

 

かつて文化放送をキーステーションに
全国ネットされていた洋楽ランキング番組、タイトルは
  「9500万人のポピュラー・リクエスト」
 〜「オール・ジャパン・ポップ20」
 〜「全国ポピュラー・ベストテン」
と変遷して行きましたが、1963年から2006年まで、
トータルでなんと43年間も続いた、
おそらく日本のラジオ史上最長寿の洋楽ランキング番組でした。

 

KBCラジオの「今週のポピュラー・ベストテン」が

1967年10月から2011年3月まで43年半の放送となりましたが、
こちらは厳密に言えば、半年ほどのブランクがおそらく二度ほどあった筈で、
ブランクなしの43年間は、今後二度と破られない金字塔と言えるでしょう。

 

「9500万人のポピュラー・リクエスト」は、1963年4月にスタート。
手元の資料によると、第1回のランキングのNo.1は
アルマ・コーガンの「グッドバイ・ジョー」。
翌週からはフォー・シーズンズの「シェリー」がトップを独走します。
その後を受けてトップに輝いたカスケーズの「悲しき雨音」は、
多少資料の抜けがあるものの、約15週くらいはNo.1の座に就いています。
翌年にはビートルズの「プリーズ・プリーズ・ミー」がいち早くトップに立ち、
以降他の番組に較べても、特にビートルズの強さが目立ちました。
また英米のみならず、イタリア、フランスなどヨーロッパ産ポップスも大活躍。
他の番組が概ね20位までのランキングを発表していたのに対抗し、
差別化を図るためか、21位までのランキングを発表していました。
小島正雄さんのソフトな語り口が人気・・・との事ですが、
残念ながら僕自身は一足違いで、
実際にこの番組を聴くことはありませんでした。

 

1967年5月から、「オール・ジャパン・ポップ20」へとリニューアル、
DJは土屋恵(つちやけい)さんへと交替しています。
土屋さんは文化放送のアナウンス部長も務められていたそうです。
(前任の小島正雄さんは惜しくも、翌68年1月20日に亡くなりました)
僕がこの番組を聴き始めたのは、67年の11月頃からで、
ローリング・ストーンズやスコット・ウォーカーがやたら強かったり、
北九州・福岡地区の番組では必ず登場していた和製ポップス(GS)が
入っていなかったり、やや毛色の違ったランキングという印象を受けました。
途中からアシスタントに最年少女性ハムとしても知られる須藤典子さんが加わり、
その後みのもんたさんへとバトンタッチします。
須藤さんは当時可愛い声やルックスとは裏腹に、「ブサイク!」とか
結構辛辣な事を言っていたような記憶があります。
現在も舞台やテレビドラマに、女優として出演されているそうです。
みのもんたさんは・・・もう言うまでもないですね!!!
むしろ当時DJをされていた事の方が、
ピンと来ないという方が多くなってるのでは・・・。

 

1970年5月からは、従来の葉書のみによるランキングから、
電話リクエスト、レコード売り上げ、民放各局のオンエア・データ等を加味し、
コンピューターによって集計したランキングに変更になりました。
当時は他の番組に較べて、随分動きが遅いという印象がありましたが、
比較的偏りの少ないランキングである為、徐々に信頼度が高まって来ました。
他の番組があまりにも動きが速くなり過ぎて、
ついて行くのが大変になって来たというのも一因だったでしょう。

 

「オール・ジャパン・ポップ20」は全国の民放各局にもネットされていました。
当初は福岡地区にもネットされていましたが(多分RKBだったと思います)
途中から何故かネットされなくなってしまいました。
そのためこの番組は山口放送で聴くようになりました。
因みに北九州地区では、山口放送が比較的きれいに入るため、
一時はKBCやRKBに負けないくらい、よく聴いてましたね。
音楽番組が結構充実していて、DJも当時若手バリバリの井上雪彦さんや、
女性アナの高山ひろ子さん(確か?)、
長野さん(すみません、下のお名前は忘れました)達が人気がありました。
山口放送での「オール・ジャパン・ポップ20」は、
年末年始の放送が無かったり、途中から一週遅れになったり、
突然時間帯が変わったり(深夜が多かったです)、
半年間お休みになったり・・・
思えば結構泣かされました。(汗)

 

70年代後半から80年代にかけての、福岡の洋楽のランキング番組は、
KBCラジオの「今週のポピュラー・ベストテン」と
FM福岡の「FMポピュラー・ヒット・パレード」の二本立て
といった状況が続き、その一方で「オール・ジャパン・ポップ20」は、
せんだみつおさん、ばんばひろふみさん、川島なお美さん、梶原茂さん達が、
歴代のDJを務め継続して行きました。
1985年には「オール・ジャパン・トップ20」にタイトル変更、
小林克也さんがDJを務めましたが、すぐに八木誠さんによる
「全国ポピュラー・ベストテン」に変更になりました。
このあたりの事情は当時よく判らなかったのですが、
「オール・ジャパン・トップ20」は文化放送の単独制作となるもので、
本来番組を企画・制作していた「火曜会」が、
「オール・ジャパン・ポップ20」を
「全国ポピュラー・ベストテン」の番組名に変更し、
全国ネットを続けて行ったようです。
その時点でも関東地区のみでは、依然として
「オール・ジャパン・トップ20」の方が放送されていたという事です。

 

80年代半ばあたりは、MTVの大ブームで洋楽がお茶の間にまで
普通に入り込んでくる時代で、まさに洋楽花盛りの状態でした。
しかし80年代も後半に差しかかると、MTVブームも頭打ちとなり、
音楽ジャンルの細分化も進み、一本のヒット・チャートのみで、
その時々に好まれている曲を全て表現して行くのが、
非常に困難になって来ました。
1989年の「FMポピュラー・ヒット・パレード」の終焉が
その状況を物語っているでしょう。
その時点ではまだ「全国ポピュラー・ベストテン」の
山口放送でのネットは続いていましたが、90年代に入ってからは
中断〜再開を繰り返す、不安定な状態となりました。
それでも90年代後半から2000年くらいにかけては、
比較的放送されている時期の方が多かったようですが、
それ以降は完全に山口でのネット放送はなくなり、
番組自体も2006年4月2日をもって、終了することとなります。
まあその頃にはすっかりインターネット社会となり、
番組そのものは聴けなくても、
ランキングは番組のHP等で知る事が出来ましたが。

    
 「9500万人のポピュラー・リクエスト」
〜「オール・ジャパン・ポップ20」
〜「全国ポピュラー・ベストテン」
と長い長い歴史を持つこの番組のランキング資料は、
完全ではありませんが、かなり手元にあります。
それらはアメリカやイギリスとはまた異なる、
日本における洋楽文化の歴史として、
大きな価値を持つものと言えるでしょう。
それらを紹介し楽しんでいただけるような機会を、
色々な手段でこれから増やして行こうと思っています。

 

pops1967の日記(2009-11-08)より転載 ※一部加筆あり

 

60s 洋楽ポップス 関連 シングルレコード 在庫コチラです ←

 

70s 洋楽ポップス 関連 シングルレコード 在庫コチラです ←

今週の歌謡ベストテン

2024年4月15日

今週の歌謡ベストテン

 

 

今回は久々にチャートのデータに関するお話です。
僕が歌謡曲を聴き始めた昭和41年当時、
地元福岡の民放ラジオ番組で、最も高い数字を取っていたのが、
KBCラジオで日曜の午前11時台に放送されていた
「今週の歌謡ベストテン」です。
TBSテレビの「歌謡曲ベストテン」は、
上位10曲を順位を付けずに発表するものでしたから、
KBCの「今週の歌謡ベストテン」が、
僕にとってのカウントダウン番組の初体験となります。

 

 

担当は間島栄一さんと陣内(じんのうち)洋子さんでした。
間島さんはKBCの局アナの方で、
陣内さんはフリーの喋り手の方だったと思います。
おふたりとも真面目・誠実を絵に描いたような喋りをされる方です。
イントロに乗せて曲紹介を行なう「インはめ」の手法が基本で、
間島さんはあらかじめランキングを知らされており、
発表されて行くランキングに、陣内さんが
リスナーの気持ちを代表して、反応するというパターンでした。
葉書リクエストの数も、先週と今週の分が発表され、
ご贔屓の歌手・曲の上昇・下降に一喜一憂するという
ファン心理をしっかりと押さえた番組になっていたと思います。

 

 

当初は30分番組で、曲がフルコーラス流れる事は殆どありませんでしたが、
後に時間が多少延長になってからは、初登場と上位曲はフルコーラス、
更にベスト3に行く前には、ベストテン入りが期待される曲や
時にはゲストを招いての、ハイライト・コーナーが設置されました。
また6位まで発表した時点で、10〜6位のランキングを
先週と今週で比較し、行方不明曲が上位進出か、
圏外転落かを予想するという事もやっていました。
そして2位の間奏の部分で、提クレ(提供クレジット)が入ります。

 

 

当時は御三家(橋幸夫さん・舟木一夫さん・西郷輝彦さん)の全盛期で、
概ね10曲の内の半分は、この三人によって占められていました。
特にダントツの強さは舟木一夫さんで、
年末に行なわれる、その年のNo.1獲得曲の特集でも、
昭和40年 あゝりんどうの花咲けど
  41年 絶 唱
  42年 夕 笛
  43年 残 雪
と、それぞれの年の最長No.1獲得曲が舟木一夫さんでした。
その他、石原裕次郎さん、美空ひばりさんも強く、
加山雄三さん、三田明さんは、ベストテン入りはするものの、
当初は他の番組に較べて、今ひとつ伸びずという印象でした。
また布施明さん、伊東ゆかりさん、森進一さん、青江三奈さん
といった人達は、レコードは売れていたものの、
ラジオのリクエスト番組では、ずっと苦戦を強いられており、
この番組でも例外ではありませんでした。
なお森進一さんと伊東ゆかりさんは、
かなり後になってから、やっとベストテン入りを果たしています。

 

 

また僕が聴き始めた頃は、圧倒的に男性優位の状態でしたが、
その後は、黛ジュンさんを筆頭に、いしだあゆみさん、小川知子さん、
奥村チヨさん、由紀さおりさん、渚ゆう子さん達の活躍により、
女性優位の時代に入りました。
昭和45年頃の演歌全盛期にも、この番組に関しては演歌一色というイメージは薄く、
舟木一夫さん、西郷輝彦さん、三田明さん、加山雄三さんは、依然として健在で、
そのまま、にしきのあきらさん、尾崎紀世彦さん、沢田研二さん、森田健作さん、
三人娘(南沙織さん・小柳ルミ子さん・天地真理さん)
新御三家(郷ひろみさん・野口五郎さん・西城秀樹さん)
といった70年代を代表する人達へと、受け継がれて行きます。
演歌系でこの時期に健闘したのは、森進一さん、五木ひろしさん、
内山田洋とクール・ファイブ、くらいでしょうか。

 

 

昭和49年には、強力なライバル番組「RKBベスト歌謡50」がスタート、
その影響からか、昭和50年には「今週の歌謡ベストテン」は
番組のリニューアルを図ります。
ランキングの発表を20位まで伸ばし、時間稼ぎのためか、
イントロやアウトロをカットするというやり方を始めました。
喋りも次第に若い層を意識したものに変えて行きましたが、
明らかに間島さん・陣内さんのイメージには合わず、
新たなリスナー層を獲得出来ず、従来のファン層をも失うという
結果に終わってしまい、間もなく番組は終了しました。
また一時期フォーク系の曲だけは、「今週のフォーク・ベストテン」として
別番組で扱っていたこともあります。
ファン心理をしっかりと理解し、きっちり決まったフォーマットで展開され、
リスナーの支持を得ていた番組を、中途半端にいじくった事が、
失敗に終わった原因と言って良いのではないでしょうか。

 

 

それでは、かつて地元の名物番組だった「今週の歌謡ベストテン」のランキングで、
特に印象的だったいくつかの曲の動きをご紹介しておきましょう。
当時のリーダー的存在は舟木一夫さんですが、
よくその間に割って入ったのが橋幸夫さんでした。
19週間No.1を続けた「絶唱」(舟木)をその座から引きずり下ろしたのが、
「シンガポールの夜は更けて」(橋)、しかし翌週には「絶唱」がトップに返り咲き、
「シンガポール〜」はあっという間に、ベストテン下位まで落ちて行きました。
「一心太助江戸っ子祭り」(舟木)と「殺陣師一代」(橋)は
ほぼ互角の強さで激しいトップ争いを展開。
通算14週No.1となった「夕笛」(舟木)は、
途中で1週だけ「若者の子守唄」(橋)にトップの座に割り込まれています。
「センチメンタル・ボーイ」(舟木)と「佐久の鯉太郎」(橋)の場合は、
橋幸夫さんの方が優勢でした。
昭和43年以降は橋さんがトップに立つこと自体が少なくなり、
舟木一夫さんの好敵手は、西郷輝彦さんに取って代わって行きました。
「オレは坊っちゃん」と「ガラスの涙」、「銀色の恋」と「友達の恋人」、
「青春の鐘」と「運命のひと」、「永訣の詩」と「涙は眠れない」は、
いずれも前者が舟木さん、後者が西郷さんで、
どれも抜きつ抜かれつの、激しいトップ争いを繰り広げました。

 

 

西郷輝彦さんの「月のしずく」は、2位止まりながらその位置に連続15週留まり、
舟木一夫さんの「くちなしのバラード」「残雪」の二代に渡って、
トップにぴったりとくっついており、2位に根が生えた!と言われました。
続いてベストテン入りした、西郷さん自身の新曲「虹を買おう」も
結局「月のしずく」を抜くことなく、先に圏外に去ってしまったほどです。
西郷さんはベストテン内でのジャンプUP記録も多いようです。
最大ジャンプUPは、10位→2位の
「サンフランシスコ霧の港町」(西郷)、「佐久の鯉太郎」(橋)の2曲。
ジャンプUPでのNo.1到達記録は、
「涙は眠れない」(西郷)の8位→8位→1位。
またベストテン入り以来、最短期間でのNo.1到達記録は、
上記の「涙は眠れない」に加えて、「夕笛」(舟木)の10位→6位→1位、
「青春の鐘」(舟木)の10位→7位→1位、
「瀬戸の花嫁」(小柳ルミ子)の7位→4位→1位。(いずれも3週目にトップへ)
美空ひばりさんの「花と剣」は、初登場5位を記録、ベストテン入りの最高記録です。
また初登場ではありませんが、石原裕次郎さんは
「帰らざる海辺」が4位、「港町・涙町・別れ町」が5位で、再登場しています。

 

 

三田明さんは、当時のライバル番組「RKBゴールデン・ヒット・パレード」や
「全国歌謡ベストテン」などでは、御三家に劣らぬ強さを発揮していましたが、
この番組では結構苦戦していた事は前述の通りです。
特に「夕子の涙」が9位を記録した後の約2年間は、
「真珠の恋人」が辛うじて10位に入ったのみでした。
しかし昭和44年の夏に、突如「太陽のカーニバル」がベストテン入り、
以前なかったほどの勢いで2位まで上がり、この番組での最高位となりました。
この曲は他の殆どの番組でトップを取っています。
しかしオリコン・チャートでは、なんと34位止まりでした。

 

 

堀田利夫さんは当時はまだ無名の新人といった印象でしたが、
昭和41年秋にベストテン入りした4枚目のシングル「哀しみのギター」が、
上がったり下がったりしながらも、しぶといチャート・アクションを続け、
なんとベストテン入り17週目にして、一度だけトップの座に就きます。
その後も粘りに粘って、実に28週もの間ベストテンに入り続けました。
これは「絶唱」の27週を上回る最長記録です。
堀田さんはその後、ムード歌謡コーラス・グループのジョイベルス東京で
リード・ヴォーカルを務めた後、またソロ歌手として活動しています。

 

 

他に意外に長期に渡ってベストテン入りしていた曲としては、
「北国の青い空」奥村チヨ(19週、最高3位)
「ここは赤坂」島和彦(18週、最高1位1週)
「わたしだけのもの」伊東ゆかり(18週、最高1位2週)
「心の旅路」千昌夫(19週、最高2位)
といったところが挙げられるでしょう。
その他、意外なNo.1曲としては、
「この愛が終るなんて」島倉千代子
「ちょっと淋しいの」野村真樹
「僕はおまえが好きなんだ」にしきのあきら
なども挙げられると思います。

 

 

男性歌手圧倒的優位の状況を一変させた功労者である黛ジュンさんは、
10週連続No.1の「雲にのりたい」を筆頭に合計5曲、
通算26週に渡って、トップの座を維持していた事になります。

 

 

南沙織さんは「17才」でデビュー以来、9曲連続でNo.1を獲得。
(但しすぐに天地真理さんに破られますが・・・)
なお良きライバルの小柳ルミ子さんは、2曲目の「お祭りの夜」が
2位止まりのため、連続No.1記録は達成出来ませんでした。
因みに南沙織さんは、No.1カムバック、ベスト3カムバック、
ベストテン・カムバック等がやたらと多かったのですが、
8曲目、9曲目のNo.1あたりになると、もうハラハラされどおしでした。
南沙織さんの「色づく街」がジワジワ上昇を続けて2位まで来た頃、
小柳ルミ子さんの「十五夜の君」がトップを続けていました。
「十五夜の君」が5週目のトップに入った時、「色づく街」は3位に後退し、
入れ替わって西城秀樹さんの「ちぎれた愛」が2位に上がりました。
この時点で「色づく街」のトップ奪回は、ほぼ絶望的と見られていました。
しかし翌週には「十五夜の君」が3位に後退し、
「ちぎれた愛」が初のトップに輝きましたが、
同時に「色づく街」が奇跡の2位カムバックを果たし、
更に翌週には「ちぎれた愛」をも追い抜いて、「色づく街」は
悲願の連続8曲目のNo.1を1週だけですが獲得したのです!
また次の曲「ひとかけらの純情」は、5位、6位あたりを
ウロウロしている隙に、小坂明子さんの「あなた」が
あれよあれよという間に、追い抜いて行ってしまったのです。
程なく「あなた」はトップに立ちましたが、その座は2週と意外に短く、
続いてトップを取った、郷ひろみさんの「モナリザの秘密」も
2週間のトップに留まりました。
そしてその間も、ジワジワと上昇を続けていた「ひとかけらの純情」は
またしても1週だけですが、No.1を獲得する事が出来たのです。
次の曲「バラのかげり」がベストテン入りした頃に、
僕は大学進学のため上京したので、番組を聴けなくなってしまいました。
そしてその年の年末に放送されたNo.1特集では、
「ひとかけらの純情」しか登場しなかったので、
南沙織さんの連続No.1記録は、この曲を以て途絶えてしまった訳です。

 

 

それでは最後に僕が番組を聴いていた

昭和41年8月~49年3月のトータル・チャートをご紹介しましょう。

 

 1 絶唱/舟木一夫
 2 夕笛/舟木一夫
 3 月のしずく/西郷輝彦
 4 夕月/黛ジュン
 5 哀しみのギター/堀田利夫
 6 オレは坊っちゃん/舟木一夫
 7 残雪/舟木一夫
 8 雲にのりたい/黛ジュン
 9 夜霧よ今夜も有難う/石原裕次郎
10 一心太助江戸っ子祭り/舟木一夫
11 情熱/西郷輝彦
12 心配だから来てみたけど/舟木一夫
13 愛の旅路を/内山田洋とクール・ファイブ
14 静かに静かに/西郷輝彦
15 願い星叶い星/西郷輝彦
16 こぼれ花/石原裕次郎
17 空に太陽がある限り/にしきのあきら
18 真夏のあらし/西郷輝彦
19 愛する人はひとり/尾崎紀世彦
20 夜霧の果てに/舟木一夫
21 さよならをもう一度/尾崎紀世彦
22 わたしだけのもの/伊東ゆかり
23 夏子の季節/舟木一夫
24 漁火恋唄/小柳ルミ子
25 純潔/南沙織
26 わたしの城下町/小柳ルミ子
27 殺陣師一代/橋幸夫
28 手紙/由紀さおり
29 真赤な太陽/美空ひばり、ブルー・コメッツ
30 運命のひと/西郷輝彦
31 くちなしのバラード/舟木一夫
32 永訣の詩/舟木一夫
33 恋のメキシカン・ロック/橋幸夫
34 ひとりじゃないの/天地真理
35 ちいさな恋/天地真理
36 ガラスの涙/西郷輝彦
37 ふたりの日曜日/天地真理
38 ブルー・トランペット/舟木一夫
39 瀬戸の花嫁/小柳ルミ子
40 京のにわか雨/小柳ルミ子
41 花嫁/はしだのりひことクライマックス
42 ここは赤坂/島和彦
43 霧のかなたに/黛ジュン
44 長崎から船に乗って/五木ひろし
45 若葉のささやき/天地真理
46 若者の子守唄/橋幸夫
47 北国の青い空/奥村チヨ
48 ともだち/南沙織
49 紫のひと/舟木一夫
50 三日月のバロック/西郷輝彦

 

pops1967の日記()より転載 ※一部加筆あり

 

 

60s 青春歌謡 関連 シングルレコード 在庫コチラです ←