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全国歌謡ベストテン

2024年4月13日

全国歌謡ベストテン

 

 

さてさて久々のチャートネタですが、
今回は文化放送をキー局に全国ネットされていた、
歴史的な邦楽ランキング番組のご紹介です。
その名も「全国歌謡ベストテン」。
スタートは1962年のことですが、新聞の縮刷版でラテ欄を調べたところ、
当初はナイター期間中は半年間休みになってたり、
結構ブランクがあったようです。
尤もたとえキー局で放送されていなくても、
ネット局ではちゃんと放送されているという、
いわゆる「裏送り」というやり方もあるので、
ランキング自体は連続して作成されていたのか、当時の詳細は不明です。

 

 

当初のパーソナリティは小野俊雄さん、

そして2代目のパーソナリティにあたる方が、
僕の大学時代の先生でもある、茂木幹弘さんです。
「ユア・ヒット・パレード」の初代DJとして知られる方ですが、
僕にとっては「全国歌謡ベストテン」が先生との出逢いになります。
当初は葉書リクエストのみによるランキングで、
全国各地区から集計結果が速報で入って行き、
番組最後に総合ランキングを決定、ベスト30を一気に発表します。
この頃は音楽番組というよりは、むしろ選挙速報的な
報道番組に近い雰囲気を醸し出していました。
1970年からはコンピューター集計となり、
葉書の他に電話リクエスト、レコード売り上げ、選定委員会ランキング等、
様々なデータに基づくチャートとなります。
ただ全国集計である為か、動きが遅いという指摘がよく見受けられます。

 

 

以前たまたま知り合いになったあるラジオ関係の方から、
数々の番組の貴重なランキング・データを
お送りいただいた事がありましたが、
その中に「全国歌謡ベストテン」100回記念の
総合ランキングというのがありました。
1位はダントツで橋幸夫さんの「白い制服」。
他にも橋さんの曲は多数が上位に入っており、
当時のリーダー的役割だった事が感じられます。
次いで三橋美智也さんの強さも目立ち、
戦前からの流れを受け継ぐ流行歌の類いも、
まだまだ健在だった事が忍ばれます。
舟木一夫さんや西郷輝彦さんは、
デビューしてから日が浅く、やっとこさ御三家勢ぞろい
といった時期である事も判ります。

 

 

前述の新聞の縮刷版を見て行くと、
1964年には橋幸夫さんの「恋をするなら」が、
新記録達成!と書いてあります。
おそらく初の10週連続1位獲得であると思われます。
僕が実際にこの番組を聴くようになったのは、
1967年の1月頃からです。
それではここで、「全国歌謡ベストテン」の
各年度別の年間No.1曲を、判る範囲でお知らせしましょう。
なお年間チャートの発表が無かったり不明な年は、
  1位10点、2位9点・・・10位1点として単純集計、
そのポイントによるNo.1曲を、参考までに書いておきます。

 

 

昭和42年 夕 笛/舟木一夫
  10週間No.1という圧倒的な強さでした。
昭和43年 艶 歌/水前寺清子
  他の番組ではベストテン入りがやっとという状態でしたが、
  この番組のみでの強さが目立ちました。
昭和44年 京都・神戸・銀座/橋幸夫
  久々の大ヒットと言われましたが、この番組ではその前後にも
  「恋はせつなく」「赤い夕陽の三度笠」「乙女川」「東京ーパリ」
  が1位、「荒野のまごころ」が2位と、人気は今だ衰え知らずでした。
昭和45年 手 紙/由紀さおり
  5月からコンピューター集計によるランキングに変更、
  年間チャート発表なしですが、単純集計では10週間No.1のこの曲。
昭和46年 また逢う日まで尾崎紀世彦
  年間チャート発表があったかどうかは不明ですが、単純集計ではこの曲。 
昭和47年 ひとりじゃないの/天地真理
昭和48年 危険なふたり/沢田研二  
  年間チャート発表があったかどうかは不明ですが、単純集計ではこの曲。
昭和49年 よろしく哀愁郷ひろみ
  歌手別のランキング発表で、No.1は西城秀樹ですが、
  曲目別での単純集計ではこの曲。
昭和50年 私鉄沿線/野口五郎
昭和51年 横須賀ストーリー山口百恵
昭和52年 ウォンテッド/ピンク・レディー
昭和53年 UFO/ピンク・レディー
昭和54年 関白宣言/さだまさし
昭和55年 ダンシング・オールナイトもんた&ブラザーズ
昭和56年 ルビーの指環寺尾聰
昭和57年 待つわ/あみん
昭和58年 ガラスの林檎松田聖子
昭和59年 涙のリクエストチェッカーズ  
  歌手別のランキング発表で、No.1はやはりチェッカーズ
  曲目別での単純集計ではこの曲。
昭和60年 あの娘とスキャンダル/チェッカーズ
昭和61年 CHA-CHA-CHA/石井明美
  歌手別のランキング発表で、No.1は中森明菜
昭和62年 君だけに/少年隊
昭和63年 ガラスの十代/光GENJI
  なぜか前半のみの集計です。

平成 1年 Diamonds/プリンセス・プリンセス
平成 2年 夢を信じて/徳永英明
  この年も前半のみの集計です。
平成 3年 はじまりはいつも雨/ASKA
平成 4年 それが大事/大事MANブラザーズ・バンド
平成 5年 負けないで/ZARD
平成 6年 イノセント・ワールド/ミスター・チルドレン
平成 7年 TOMORROW/岡本真夜
平成 8年 アジアの純真パフィー
平成 9年 HOWEVER/GLAY
平成10年 (年間チャート発表不明)
平成11年 AUTOMATIC/宇多田ヒカル
平成12年 TSUNAMI/サザンオールスターズ
平成13年 Can You Keep A Secret?宇多田ヒカル

 

 

それで長い歌謡曲の歴史の中では、
当時の様子が正しく伝えられていないという状況も生まれます。
例えば「ラブユー東京」黒沢明ロス・プリモス
   「星影のワルツ」千昌夫
このあたりが昭和41年のヒットであるという記述をよく見ますが、
実際にヒットしたのは昭和43年のことです。
また「女のみち」ぴんからトリオ
  「なみだの操」殿さまキングス
このあたりがNo.1を独走したような記述もありますが、
実際にはそれはレコード売り上げを重視した番組のみであって、
当時大半を占めていた葉書のみによるランキングでは、
殆どの番組でベストテン入りがやっと、
特に僕の地元北九州・福岡地区の番組では、
ベストテン入りすら出来ずというところが多かったのです。
また当時のグループサウンズの扱い方の不徹底ぶりも
リアルタイムでない方々には、想像もつかないと思います。
謡曲の番組に入ることは少なく、
多くは洋楽の番組に登場していました。
しかし「全国歌謡ベストテン」では、このGSは比較的健闘しており、
特にタイガースは「僕のマリー」でいち早くベストテン入り、
「花の首飾り」「シー・シー・シー」はNo.1に輝いています。
しかし例えばジャッキー吉川ブルーコメッツは、
「何処へ」で初チャート入りを果たしたものの、
おそらくGS史上最大のヒットである筈の「ブルー・シャトウ」が
全く登場していないなど、かなり一貫性を欠くという印象です。

 

 

まあ当時の状況をなるべく正確に伝え、
音楽によって当時の雰囲気をよりリアルに描き出す、
いわゆる「音楽による時代考証」。
それが僕がやって行きたいと思うことのキーワードです。  

 

pops1967の日記()より転載 ※一部修正あり

 

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ユア・ヒット・パレード

2024年4月11日

ユア・ヒット・パレード

 

僕が大学時代にラジオ制作実習・卒論を担当していただいた先生が、
日本におけるランキング番組の草分け「ユア・ヒット・パレード」の
初代パーソナリティの方であったことは以前お知らせした通りです。
とは言っても「ユア・ヒット・パレード」自体、

もう30年以上も前に終了した番組であり、
ご存じない方のほうが圧倒的に多いと思いますので、
番組とその周辺の状況を、簡単にご紹介しておきましょう。

僕の印象では「ユア・ヒット・パレード」と言えば、
映画音楽が妙に強い、ちょっと変わった番組という感想を持っていましたが、
1976年4月の番組改編を持って姿を消す事になりました。
まさに僕が茂木先生に教えていただいていた真最中でした。

当時映画音楽は既に数多い音楽ジャンルの一つに過ぎないという位置付けにあり、
映画音楽中心の番組の存在価値が、

希薄になって来ていたという印象は否めません。
因みにRKBラジオで放送されていた、
鬼橋美智子さん(おにちゃん)の「ユア・ヒット・パレード」は、
全くの別番組ですが、洋楽の日にはオリジナルの方の
「ユア・ヒット・パレード」の話題が取り上げられる事も多々ありました。

 

文化放送の「ユア・ヒット・パレード」は、1955年10月1日にスタート。
実はその前に既に高崎一郎さんによる同種の番組が存在したそうですが、
「ユア・ヒット・パレード」の知名度が圧倒的に高く、
全国ネットもされていたので、日本におけるランキング番組の草分けと言えば、
「ユア・ヒット・パレード」を指す事が多いようです。
毎週土曜日の夜8:00〜8:30の30分番組で、パーソナリティは
文化放送の茂木幹弘・田中まり子、両アナウンサーが担当しました。
当時はまだテレビはあまり普及しておらず、最大の娯楽と言えば映画という時代、
そのため映画音楽を中心とした番組作りが特徴でした。

 

番組の構成はベストテン(後にベスト20)のランキングを紹介し、
上昇曲の中から選出した曲、及び上位3曲を放送するというもので、
途中に新曲紹介と新着映画紹介のコーナーを設けていました。
最初のランキングは2週目の10月8日に放送されました。

 1 ロック・アラウンド・ザ・クロック/ビル・ヘイリーと彼のコメッツ
 2 ベニスの夏の日(旅情)/ロッサノ・ブラッツィ
 3 はだしのボレロ/ユーゴ・ウィンターハルター楽団
 4 恋人よわれに帰れ/トニー・マーティン
 5 パリのお嬢さん/ジャクリーヌ・フランソワ
 6 モンマルトルの丘/コラ・ヴォケール
 7 セレソ・ローサ/ペレス・プラード楽団
 8 チャ・チャ・チャは素晴しい/エンリケ・ホリン
 9 デビー・クロケットの唄/ウォルター・シューマン
10 グリズビーのブルース/ラリー・アドラー

上位3曲を映画音楽が独占したということで、大いに話題になったようです。
更に3週後の10月29日には、ヴィクター・ヤング楽団の「エデンの東」が
ベストテン入りしますが、この曲こそ78週間No.1獲得(不連続)、
更にリバイバル公開時の1963年、1971年にもNo.1となる、
おそらく日本の洋楽史上最大のヒット曲なのです!

 

主演のジェームス・ディーンが自動車事故により急死するという悲劇が、
この曲の人気を決定的なものにし、番組には毎週毎週
エデンの東」への「涙のリクエスト」が殺到したそうです。

 

「ユア・ヒット・パレード」は翌1956年7月15日から、
毎週日曜日の夜9:30〜10:00というゴールデン・タイムに移動、
その直後にロックン・ロールの王者、エルヴィス・プレスリーが、
「ハートブレイク・ホテル」で初のベストテン入りを果たしています

 

続いて1957年1月9日には、ラジオ東京(現TBSラジオ)が
洋楽のランキング番組「今週のベスト10」をスタートさせました。
当初は毎週水曜日の午後2:05〜3:00という、
学生や勤め人にはいささか聴き辛い時間帯でした。
(当時一般家庭にテープ・レコーダーなどあろう筈もなかった時代です)

 

映画音楽もランク入りしてはいましたが、どちらかと言えば
エルヴィス・プレスリーパット・ブーンに代表される
ポピュラー・シンガーの歌の方が強かったようです。
またこちらでも「エデンの東」はロング・ヒットとなりましたが、
あまりに強すぎるため遂に引退という形でランキングから外してしまいました。
随分と抗議の葉書が集まったようですが、

結局引退取り消しはしなかったそうです。

 

1958年にはポール・アンカが来日を果たし、爆発的な人気を集めました。
(もっとも素行面では色々とあったようですが)
特に「ユア・ヒット・パレード」では、6月29日放送分で、
1位「君はわが運命」、2位「ダイアナ」、3位「クレイジー・ラブ」
4位の「エデンの東」をはさんで、5位にまたまた「ロマンスの鐘は鳴る」と、
なんとポール・アンカ1人で上位5曲中、4曲を独占。
この年の年間チャートにも、ベストテン内に3曲を送り込んでいます。

 

またこの年には音楽雑誌「ミュージック・ライフ」が7月号より、
主要レコード店の集計による洋・邦のポピュラーの売上ランキングの掲載を開始。
7月号に掲載された5月の売上でも、

外国盤の上位はポール・アンカが独占しています

1959年にはテレビの「ザ・ヒット・パレード」がスタート、
更に1960年代に入ると、

ニッポン放送の「キャンディ・ベスト・ヒット・パレード
文化放送の「9500万人のポピュラー・リクエスト」も参入。
ヒット・パレード黄金時代が繰り広げられ、
「ユア・ヒット・パレード」はそのリーダー的役割を果たし続けました。

 

その辺りの状況は、また次の機会にということで・・・
なお今回書きました中で、主に番組初期の状況につきましては、
学生時代に茂木幹弘先生から直接お聞きした話に基づいています。

 

pops1967の日記)より転載

ラジオのベストテン番組あれこれ ★文化放送『全国歌謡ベストテン』

2023年10月14日

ラジオのベストテン番組あれこれ 

★文化放送『全国歌謡ベストテン』

 

アナログレコード担当の中嶋ひろ志です。僕は小学5年から歌謡曲の、小学6年からポピュラーのベストテン番組を聴き始め、ランキングの記録を取るようになりました。ファンファンのお客さまからも、これまでにランキングのお問い合わせをいただいたり、お持ちのランキングの資料を送っていただいたり、やり取りをしている方が何人かいらっしゃいます。ポピュラーのランキングのデータをネット上で公開している方は結構いらっしゃいますが、歌謡曲のデータは非常に少なく、特にオリコン・シングル・チャートが正式にスタートする前の、1967年以前の資料は特にラジオ番組に関するものは殆ど見かけません。最近、文化放送の『オール・ジャパン・ポップ20』のランキングのお問い合わせをいただいた方が、同じく文化放送の『全国歌謡ベストテン』の資料を入手され送って下さいました。僕は1967年の1月くらいからリアルタイムで聴いていたので、ある程度は資料もあるのですが、それ以前はほぼ判らない状態でした。(以前に他の方から、番組スタートから100回目までの総合チャートといった、貴重な資料を送っていただいたことはあります)

 

今回送っていただいた資料を整理して分析しているのですが、次第に『全国歌謡ベストテン』の初期のランキングの特徴が明確になって来ました。同番組では以下のタイプの曲は、全くオミットされるか敬遠されていたような傾向が見られます。

 

1 任侠もの・ヤクザもの

2 コミックソング・ノベルティもの

3 お色気もの

4 絶叫タイプや悪声のシンガー

5 男性がうたう女歌

6 渡辺プロダクション関係(一部例外あり)

7 外国曲のカバー

8 長髪のGS(タイガースは例外)

  ※但し他の多くの番組ではGS自体が基本的に洋楽扱いで、

   歌謡ベストテンではランク外だった。

 

一方圧倒的に強かったのは、青春歌謡やクルーナー唱法のムード歌謡。いわば美声で丁寧に・端正に歌い上げるシンガーが非常に好まれていたようです。具体的に言えば、当時トップクラスの人気だったのは、いわゆる歌謡界の御三家、橋幸夫さん・舟木一夫さん・西郷輝彦さんという事になりますが、実は『全国歌謡ベストテン』では三田明さんは15曲以上のNo.1曲があり、西郷輝彦さんを上回っていました。また正直ピークを過ぎた印象のあった三橋美智也さん、春日八郎さん、フランク永井さん、三島敏夫さんあたりがまだまだ健在で、ベストテン入りを果たしていました。しかし村田英雄さん、三波春夫さんはさほどの勢いはありませんでした。その他の男性で強かったのは、坂本九さん、北原謙二さん、梶光夫さん、久保浩さんなどでした。一方女性歌手では歌謡界の女王美空ひばりさんを筆頭に、こまどり姉妹、畠山みどりさん、園まりさん、都はるみさんあたりが強かったのですが、次第に水前寺清子さんが頭角を現わして来ます。1968年の年間チャートでは「艶歌」で総合1位を獲るほどでした。僕の大学時代の恩師で、文化放送のアナウンサーだった茂木幹弘氏によると、三田明さんと水前寺清子さんには強力なファンクラブ組織が付いていたとの事でした。ファンクラブ組織によって投票が行われていた事になりますが、これを正当と見るか否かは意見の分かれるところでしょう。但し一人の方が一度に何枚も複数の投票をすることに対しては、厳しく目を光らせ一週につき全部で1票としていたようです。(『全国歌謡ベストテン』の番組内で言及がありました。)

 

茂木幹弘先生は僕が『全国歌謡ベストテン』を聴き始めた頃は、アナウンサーとしての役割に留まらず、文化放送のチーフプロデューサーとして全面的に番組制作に携わっておられたとのことです。茂木先生の印象はいつもにこやかで折り目正しい方でした。日本のヒットパレード番組の草分け『ユア・ヒット・パレード』で映画音楽を積極的に紹介したり、エルヴィス・プレスリー・ファンクラブの名誉会長を務められたり、ビートルズの魅力にも非常に早い段階で注目しておられました。そのような音楽に対する造詣の深さが、『全国歌謡ベストテン』の番組作りにも反映されていたと思われます。1969年頃には『全国歌謡ベストテン』のアナウンス担当は別の方に替わっていましたが、その頃からランキングの勢力が少し変わり、それまでは殆ど登場していなかった森進一さん、青江三奈さん、布施明さんなどが徐々にベストテン入りを果たすようになったのも、もしかすると番組プロデューサーが交替した影響ではないかと推察されます。(次回へ続く)

★ レコード 今日の1枚 ★尾上真智子 / 八幡岬

2023年9月9日

尾上真智子 / 八幡岬
Onoue Machiko / HACHIMAN MISAKI

YS-90

 

★ 元KBCアナウンサー ★

 

*1983年 歌手デビュー曲

マイナー演歌 カルト歌謡 ご当地ソング

 

 

★ レコード 今日の1枚 ★アース&ファイアー / 明日への叫び

2023年9月9日

アース&ファイアー / 明日への叫び
EARTH AND FIRE / 21st Century Show

DP-1774

 

★ オランダ ダッチサウンド ★

 

*前作「シーズン」に続いてヒット

1971年 RKBポップス・タイムで最高5位を記録

 

★ レコード 今日の1枚 ★アース&ファイアー / シーズン

2023年9月9日

アース&ファイアー / シーズン
EARTH AND FIRE / SEASON

DP-1756

 

★ オランダ ダッチサウンド ★

 

*日本での最大のヒット

1971年 日本のヒットパレード番組で軒並みNo.1を記録

 

★ レコード 今日の1枚 ★ゲイリー・パケットとユニオン・ギャップ / オーバー・ユー

2023年9月9日

ゲイリー・パケットとユニオン・ギャップ / オーバー・ユー
Union Gap / Over You

SONG-80028

 

★ 4曲連続ミリオンセラー ★

 

*全米7位 4枚目のシングル

KBC今週のポピュラー・ベストテンで最高8位

 

 

★ポップス同好会~レジェンドDJ松井伸一さんに捧ぐ★ セットリストです!

2023年9月4日

★ポップス同好会~レジェンドDJ松井伸一さんに捧ぐ

セットリストです!

 

2023年8月31日 黒崎ストロベリーサワーにて

 

*第1部

花のサンフランシスコ/スコット・マッケンジー 
 松井さんの番組 1967.10.11 第1回のNo.1

 全米4位

 ママス&パパスのジョン・フィリップス作品

 サマー・オブ・ラヴを象徴する曲

 1967年を代表する1曲

バス・ストップ/ホリーズ 
 松井さんの番組以前 1966~67年 日本で大ヒット

 全米5位 
 TVドラマ『何曜日に生まれたの』主題歌

 グラハム・ナッシュ在籍

若葉のころ/ビー・ジーズ 
 松井さんの番組 1969.8.15 5位

 全米37位

 松井さんの番組のディレクター、

 岸川均さん一推しのグループだった

 1971年 映画『小さな恋のメロディ』挿入歌 
 1996年 TVドラマ『若葉のころ』主題歌

ラヴ・ミー・トゥナイト/トム・ジョーンズ 
 松井さんの番組 1969.9.26~10.3 2位

 全米13位


そよ風の誘惑/オリビア・ニュートン・ジョン(インスト)
 松井さんの番組 1975.6.22~29 2位  

 他の番組では殆どNo.1

 全米1位

デスペラード(ならず者)/イーグルス 
 シングルカットなし 

 セカンドアルバム・タイトル曲

 元々は松井さんが大ファンだったリンダ・ロンシュタットの

 バックバンド

素顔のままで/ビリー・ジョエル 
 松井さんの番組 1978.4.2~9 6位 

 全米3位

 グラミー賞レコード・オブ・ザ・イヤー

 

 

*第2部 お客さまコーナー

ロング・アンド・ワインディング・ロード/ビートルズ 
 松井さんの番組 1970.7.5~12 2位 

 全米1位

 ビートルズのラストシングル

 (解散後にカットされたシングルは除く)

イマジン/ジョン・レノン
 松井さんの番組 1971.11.14~21 2週No.1

 全米3位

 20世紀を代表する名曲

好きにならずにいられない/エルヴィス・プレスリー 

 松井さんの番組以前

 1962年 日本では「ロカ・フラ・ベイビー」のB面 

 映画『ブルー・ハワイ』挿入歌 後にA面に昇格

 日本におけるエルヴィス・ナンバーの人気投票No.1

 全米2位
 松井さんの番組では1969年に「イン・ザ・ゲットー」がNo.1

遥かなる影/カーペンターズ
 松井さんの番組 1970.9.6 4位

 全米1位 年間2位

 バート・バカラック作品

きみの友だち/ジェイムス・テイラー 
 松井さんの番組 1971.9.19 18位

 全米1位
 一般的にはアルバム『つづれおり』収録の

 キャロル・キング・ヴァージョンが有名
 東日本大震災以降、よく歌われている

マイ・ラヴ/ポール・マッカートニー&ウイングス
 松井さんの番組 1973.6.3~7.8 6週No.1 年間2位

 全米1位

ウイ・アー・オール・アローン/ボズ・スキャッグス 
 ボズ・スキャッグスではノンヒット

 フランキー・ヴァリ、リタ・クーリッジのヴァージョンが

 全米でチャート入り

 松井さんにとっての想い出の曲!

ダイスをころがせ/ローリング・ストーンズ 
 松井さんの番組 1972.7.9 7位

 全米7位  

ホンキー・トンク・ウィメン/ローリング・ストーンズ 
 松井さんの番組 1969.9.26~10.3 2週No.1

 全米1位

 ブライアン・ジョーンズ脱退後の初シングル

 その後のストーンズの演奏スタイルを確立した曲

 

 

*第3部

そよ風の二人/バタースコッチ 
 松井さんの番組 1971.7.25~8.1 2週No.1

 全米ノンヒット 全英で小ヒット

 おそらくリアルタイム世代以外には無名であろう曲

 この曲が1位を獲ったのは世界中でも松井さんの番組のみ?

 今回のイベント中でも特に評判の良かった曲!

アローン・アゲイン/ギルバート・オサリヴァン 
 松井さんの番組 1972.9.3~10.15 7週2位 

 他の番組では殆どNo.1

 全米1位 年間2位

 この曲を演奏してたくさんのコードを覚えた!

雨を見たかい/クリーデンス・クリアウォーター・リバイバル 
 松井さんの番組 1971.2.28~3.14 3週No.1

 全米8位全米シングルチャートでは、

 2位は5曲もありながら、No.1獲得曲が1曲もない

 ビートルズ解散時には、ネクスト・ビートルズに

 最も近い存在と言われていた

ヘイ・ジュード/ビートルズ 
 松井さんの番組 1968.9.16~11.27 11週No.1 

 年間No.1

 全米1位 年間No.1

 B面の「レボリューション」が初登場1位となった翌週に

 この曲がNo.1の座を奪回した

 トータルチャートのNo.1を「ホテル・カリフォルニア」、

 「伝説のチャンピオン」と争った

 

*アンコール

デイドリーム・ビリーバー/モンキーズ 
 松井さんの番組 1968.1.10 2位

 全米1位
 1980~81年 TV-CM起用でリバイバルヒット 

 その後も度々CM起用
 1989年 タイマーズの日本語カバーがヒット

 

★ポップス同好会~レジェンドDJ松井伸一さんに捧ぐ★ 無事終了しました!

2023年9月4日

★ポップス同好会~レジェンドDJ松井伸一さんに捧ぐ

無事終了しました!

 

先日お知らせしました、8月31日に黒崎ストロベリーサワーで開催の音楽イベント『ポップス同好会~レジェンドDJ松井伸一さんに捧ぐ』。お陰さまで無事終了しました!当初出演予定だったシンガーの方が出演いただけなくなり、急遽常連のお客さまに代理をお願いしたり、メンバーのスケジュールがなかなか合わず全員のリハが当日になったりいろいろとありましたが、皆さんのご協力・応援をいただき滞りなく進行いたしました。メンバーは本番の8時間も前から現地入りしてリハを行ない、歌っていただくお客さま達も全員が早めにお越しになってリハに参加して下さいました。

 

内容は第1部と第3部がシンガーの方のヴォーカルをフィーチュアして、松井伸一さんが番組を担当された1967~79年に日本でヒットした洋楽曲を中心にお送りしました。これまでの洋楽イベントで一度も演ったことのない曲がかなり含まれ、僕にとっても新鮮でした。曲間では松井さんに関するエピソードや、それぞれの曲の松井さんの番組内でのランキング・データなどを交えてお話しました。2曲は僕の替わりにお客さまにピアノをお願いしましたが、リハの段階で急遽お客さまと僕との連弾でのインスト曲を追加しました。そして第2部では恒例となったお客さまコーナーで、事前にリクエストをいただいた皆さんご自身にその曲を歌っていただきました。今回も6人の皆さんに歌っていただきましたが、その選曲が素晴らしくて、おそらく誰もが認めるであろう珠玉の名曲ばかりが並びました。また会場となったストロベリーサワーのマスターにも、お得意のローリング・ストーンズ・ナンバーを2曲歌っていただきました。

 

今回演りたい曲があまりにも多くて、見送ってしまった曲が多々あります。特に松井さんゆかりのクイーン、チープ・トリック、リンダ・ロンシュタットの曲など候補に挙げていたのですが、残念ながら今回は準備が間に合いませんでした。松井伸一さんトリビュート企画は今後も継続して行くつもりなので、今回外した曲はまた次の機会に挑戦しようと思います。黒崎ストロベリーサワーでは、次回は11月29日に『みんなでみんなで昭和歌謡』を開催します。一人でも多くのお客さまに歌っていただくつもりで、既に歌っていただく方の募集も開始してますので、次回もよろしくお願いいたします。

 

今回の『ポップス同好会~レジェンドDJ松井伸一さんに捧ぐ』にご来場・ご協力・そして応援してくださった全ての方々、そして尊敬する松井伸一さんに心から感謝申し上げます!

 

               中嶋ひろ志

 

 

*写真はご来場のお客さまよりいただきました。

有り難うございました。

★ レコード 今日の1枚 ★ソサヤ・トリオ / 風

2023年8月26日

ソサヤ・トリオ / 風
Zozaya Trio / KAZE (El Viento)

SONG-80110

 

★ メキシコのトリオ スペイン語歌詞 ★

 

*はしだのりひことシューベルツのカバー
日本のラテン歌手マリキータ(帆足まり子)在籍

帆足まり子は文化放送の『S盤アワー』のDJを永年担当